今日は大江戸線に乗り、門前仲町の成田山深川不動尊へ行ってきた。ここにはよく訪れる。この歳になると、何かにしがみつきたくなるものだ。まるで子泣き爺のように。

この寺には、恐ろしい顔をした不動明王が鎮座している。その迫力ある表情は、どんなに肝の据わった者でも自らの罪を省みたくなるほどだ。しかし、その隣にはタイから来た穏やかな仏陀像が静かに佇んでいる。私はいつもこちらでじっくりと念仏を唱え、不動明王の怒りに満ちた視線ではなく、仏陀の穏やかな表情に慰めを見出す。
この寺で特に気に入っているのは、護摩祈祷の香ばしい煙の匂いだ。護摩木に願いを書き、火の中へ投じる。燃え上がる炎と共に、俗世の悩みも煙となって消えていく…と、そんな気がする(あくまで希望的観測だが)。
本堂の壁には無数の漢字が刻まれ、鮮やかに描かれている。きっと深い意味があるのだろうが、正直なところ、私にはさっぱり分からない。おそらく経文なのだろうが、もしかすると単なる装飾かもしれない。だが、それがまた、この寺の神秘的な雰囲気を際立たせている。
そんなわけで、私は静かに手を合わせ、ささやかな悟りを願う。
「どうか、欲と怒りと妄想が消えますように… アーメン。」
(いや、アーメンは仏教にはないが、そこは柔軟にいこうじゃないか。)